市民公開講座「がんとの仁義ある戦い」

市民公開講座「がんとの仁義ある戦い」
北國新聞社が主催し、がんプロが共催する申し込みが必要な無料の公開講座。


菅原 文太の がん治療体験の講演が

H22年9月12日(日)14時から
金沢大学医学類十全講堂にて

おこなわれます。
申し込みは9月3日までに

北陸がんプロフェッショナル養成プログラム事務局 まで

ハガキ あるいは がんプロホームページから申し込みください。

url http://www.gan-pro.com/

第一部には、赤座先生

第二部では、淵上先生、矢野先生、島崎先生のお話があります。

定員が500名と少ないため今回も満席となると思われます。お早めにお申し込みください。

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2009年11月の交流会 中止のお知らせ

11月に予定していた下記の交流会は、県内に新型インフルエンザ注意報が発令されたので感染防止の為に、残念ながら中止といたします。

1. NTT西日本金沢病院  

2. 石川県立中央病院

※お問い合わせは、萌の会事務局までご連絡ください。

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2006年5月の交流会

5月20日朝、田中祐次先生を空港にお迎えにいきましたが、小松の上空に着いているにもかかわらず悪天候の為に飛行機が羽田に引き返すというアナウンスが・・。飛行機が着陸しないのは想定外のアクシデントでした。

 急な依頼にもかかわらず、講演会のピンチヒッターを快く引き受けてくださいました山崎先生には感謝の気持ちでいっぱいです。「田中先生のお話を聞けなかったのは残念ですが、臍帯血移植の最新情報が聞けて良かった。」と、参加者の皆さんから寄せられました。

 田中祐次先生からは、「ぜひ近いうちに、また金沢に伺いたい。」とご連絡を受けていますので交流会特別編を開催したいと思います。

 交流会は例年のごとく、多くの方々のご参加をいただいて、皆様のおかげで大盛会となりました。詳細は「萌の会だより 6月号」に掲載いたしました。

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山崎先生から臍帯血移植について説明をおこなっていただきました。

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会報 第13号 1999年4月

コムルの活動紹介と会員からの寄稿

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あなたのメッセージ 伝えてみませんか

病気。それは肉体的に加えて精神的ダメージも大きく作用します。長期間にわたる治療ならなおのこと。血液疾患、特に白血病は小さな子供から高齢者までと年齢層は広いのに、患者数はガン患者のわずか数パーセント。そして、過去の「不治の病」というイメージが付きまといます。

 自分の病気がわかった時、あなたは誰に支えてもらいましたか?まわりがどんな風だったら安心できますか?私が白血病だと知った時、「この先どうなるの?」が一番の疑問でした。わからないことばかりなのに当時は情報といってもあまりないし、一昔前の「家庭の医学」には「予後不良」の文字が….。病院の先生にはたくさんのことを伺いました。それでもやっぱり何かが足りない。そんな時、私の心を見透かしてか、先生は一人の患者さんを紹介してくださいました。患者同士で話しているといつの間にか意気投合。「そうか、これだったんだ。」足りなかったものは….。

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 医療側の情報を"薬"に例えるなら、患者同士の会話は"栄養剤"といったところでしょうか。きっと周りにもこう感じている人がいるはず。つらい入院中もずっとそんなことを考えていました。
 例えば脱毛。命が助かったんだから、髪の毛ぐらい…とよく慰められたのですが、治療のためとはいえ悲しい出来事。特に女性は気になります。また、就職や結婚そして再発の問題。元気になればなったでその後の生活の悩みが出てきます。

 そんないろいろな思いを主治医に相談。そして先生や看護婦さんの支えのもと、新しい命が燃えいずる…と言う意味をこめて「萌の会」が誕生しました。
 この患者の会は口コミで少しずつ広がり、金沢大学医学部附属病院を拠点に他病院の患者さん、または県外の方も会員となっています。
 毎月発行しているお手製の会報は患者さんの生の声を中心に情報発信し、病棟にもつづりをおいて入院中の方も見ることができるようにしています。交流会は先生方や看護婦さんにも多数出席していただいているので、普段時間がなくて話せない内容やそれぞれの思い出話がつきません。会の中には、移植を受けて15~20年以上経った方も数人おり、骨髄移植の歴史を感じます。

 会報や交流会は、この方たちの思いを伝えたり、自分自身を振り返る手段のひとつです。患者は同病者の症状の変化を見て、自分の今後を大体予測します。だから、同病者同士は親密な関係になって支えあったり、情報交換をします。私はそこから一歩進んで、患者家族間の交流だけでなく、不必要な不安を取り除くための正しい情報を医療側から提供してもらったり、体験談とともに医療側の助言を交えて知ることも大切だと考えます。

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「患者会が作った患者さんのための冊子」

(財)北國がん研究振興財団の研究助成事業により作成した冊子が、出来上がりました。
寄せられた体験談やアンケート回答、集計そして編集など、皆様のエネルギーが込められた一冊となりました。支援していただきました北國新聞社ならびに会員の皆様、医療関係者の皆様に厚くお礼申し上げます。

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 なお、冊子は金沢大学医学部附属病院、石川県立中央病院、NTT西日本金沢病院の各血液内科病棟に置かせていただいています。

 冊子を希望される方は、メールにてご連絡下さい。(送料をご負担願います)

 お問い合わせメールアドレスは総てローマ字に変えアルファベット小文字( イワオ アットマーク ティブイケイ ドット エヌイー ドット ジェイピー)アットマークは@に、ドットは.に換えてください。

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会報 第8号 1998年12月

1998-12(2ページ目) ロング・バケーションはもういらない。

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骨髄バンク全国キャラバン隊 ドナー号の軌跡

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<金沢大学医学部附属病院前にて>

○1999年5月に骨髄バンクを通じての非血縁者間骨髄移植が2000例を達成したことを記念し、全国骨髄バンク推進連絡協議会(骨髄バンク支援ボランティア組織の連合会)がさらなるドナー登録者の拡大と各都道府県の知事および議会議長への「アピール文」伝達を目的に、7月から9月の2ヵ月間にわたり「骨髄バンク全国キャラバン」をり実施し、石川県へは、8月27日から29日までの3日間、キャラバンカーが来訪しました。

○キャラバンカーは、各地のボランティア団体がリレーし、本県では北陸骨髄バンク推進連絡協議会が患者訪問等をおこない、福井県へリレーしました。 



「全国キャラバン同時開催移植患者会について」和田 真由美 1999/8/27

8月27日の夕方に石川県入りしたドナー号。知事はあいにく不在でしたが、県庁前にてメッセージ文を読みあげ出発式を行いました。おりしも、翌28、29日は土、日と官公庁はお休み。本来なら、各市町村を回って伝えたかったのにどうしよう……。と困っていたのです。運行予定を決める段階で、病院訪問という形をとれないかと主治医に相談。そこででたのが「元患者の交流会」の計画。無謀にもキャラバンの10日前のことでした。

実は私自身も移植を受けていて、一昨年から「萌の会」という患者の会を運営しています。「骨髄移植を受けて、元気になっている人に会いたい!」今回の計画は病院の先生はもちろん、私にとってもかねてからの夢でした。いつかは実現したいと思っていたことが、全国キャラバンをきっかけに夢の扉があいたのです。
さて、どれだけの方が来てくださるのでしょうか?お忙しい先生方のご都合は大丈夫なのでしょうか?そんな不安がどっと押し寄せるなか、いよいよ当日を迎えました。
キャラバンカーに乗って金沢大学医学部附属病院に向かうと、全国キャラバンののぼり旗が見え、エントランスにはたくさんの人。小児科に入院中の子供たちもいました。白衣以外の人たちはもしかして患者さんなのかしら?もちろん初めてお会いする方がほとんどで、向こうもキティちゃんのTシャツを着ている私をボランティアの人と勘違い。(もちろんそうなのですが……)どの方も移植を受けたとは思えないほど、元気な方たちばかり。
中には15年、20年と経過した方もおいでて、金沢大学病院の骨髄移植の歴史を感じました。皆様から大切な千羽鶴を受け取りその後、先生方や看護婦さんを交えて交流会を行い、近況を報告しあいました。

今でこそ、笑いながら話せることですがそれぞれにドラマがあり、今度はゆっくりと時間をとって、と再会を約束して記念撮影。その後、ドナー号は次の目的地の石川県立中央病院に向かいました。後でこの時の写真を見ながら、もし、骨髄移植という治療法がなかったら、この人たちは既に命がないかもしれないし、  また、移植を受けた人がすべて助かるわけでもないので、「生きている」という重みをとても感じました。
各都道府県でも、さまざまなイベントが行われたことと思いますが、この思いは、キャラバンに携緊急イベントに携わった人たち皆さんに伝わったことでしょう。今年の夏はとても暑く、そして日本中が手をつないだ熱い熱い夏でした。 皆様、本当にお疲れさまでした。See you again next year!

全国協議会ニュース増刊「骨髄バンク」第6号 に掲載

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萌の会会員1999年アンケート集計結果

1999年アンケート集計結果

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会員の皆様にアンケートをお願いしたところ、15人の方から回答を寄せていただきました。会員はもちろん、医療スタッフの皆さんはこのアンケート結果をどのようにご覧になるのでしょうか。また、読んだ感想をお寄せ下されば幸いです。

1、既婚  12人   独身  3人

2、発病前の職業
   会社員 8人   自営 1人   主婦 3人   学生 2人  その他 1

3、発病が原因で現在、退職または休職中の方
   はい  7人   いいえ  8人

4、年齢          発病時   現在
     10~19歳    3人      2人
     20~29歳    1人     1人
     30~39歳      6人     5人
     40~49歳     3人     3人
     50歳以上      2人     4人

5、死を実感したことがありますか   (複数回答あり)
   ある 9人    ない 4人    家族として実感した 3人

6、治療中、つらかった事をお書き下さい。
・ 楽しかったこともいっぱいあったけど、つらかったことは家族に迷惑をかけている事が一番かな。それと、同室の方の死。治療では、吐き気がとてもひどかった事と点滴の針がなかなか入らない事。
・ あまりなかった。病棟が生活の場というにはプライベートな空間がほとんどない
とかいろいろあるが、その辺りはあきらめて割り切らないと仕方がないと思ったしさほど深刻には考えなかった。当時何か思うところがあったとしても『のどもと過ぎれば…』何とかで、忘れてしまった。
・ 家族と遠くはなれて入院生活を送ったこと。毎日実家の姉や母にサポートしても
らってたいへん心強かったし、家族もまた、日曜のたびに来てくれていたが遠く離れていることの寂しさはたとえようもなく、それが入院中やる気を失わせ、無気力な自分が嫌で自己嫌悪に陥ったりして、今思えばそういうことが辛かったかなと感じる。無菌室での肉体的な苦しみは地獄のようだったが、いつかきっと良くなる時がくる、お医者様が治してくださると信じて耐えた。
・ 入院後、2週間くらい貧血で早く血が欲しかった。(ドラキュラでした)
移植後、アデノウイルス、サイトメガロウイルスによって、出血性膀胱炎になり一時期大変つらかった事と私の入院中に母が亡くなったこと。
・ 検査、治療への恐怖感。
・ 今思えばいろんな事があるけれど、ステロイドで顔が変わってしまったこと。 
・ とにかく無菌室の中での辛さといったら表現しようがない。あれぞ地獄の苦しみ、それと隔離されたという感じで人恋しくなった。このひどい姿を誰にも見られたくないという気持ちと、誰かそばにいてと思う気持ちが入り混じる。(家族は心配をかけるのであまりいて欲しくなかった)
・ 移植1週間前に無菌室に閉じ込められ、点滴による抗がん剤治療に入るまで比較的元気だったので、その間の外部からの隔離感、ひま感?が耐えがたかった。
・ 多量のステロイド服用で眠れなかったこと。眠剤も全く効かず明け方までベッドの上で悶々としていた。1日平均2~3時間睡眠。眠れないというのもつらい。
                                         
7、副作用またはGVHDで悩んだこと
・ 腰部のヘルペスで歩けない、座れない激しい痛みとかゆみ。(お産より、移植よりきつかった。)退院後も患部の痛み、かゆみが長く続いて1年半たった今でもある。            
・ GVHD による肝機能値上昇、薬代など経済的な負担が大きい。
・ 移植後3週間位の時、眠れないほどの肩こりがあった。
・ ドライアイ、ヘルペス、口内炎等を経験したがそれほど辛くはなかった。
・ 病気になってから、やたらいろんな疾患にかかる。自分はこんなに弱い身体だったのか… 体力には自信あったけど、まだ精神力は残っているぞ。
・ 半年くらい血便が続いたこと。
・ ステロイドを飲みつづけているため、皮膚が弱くなり傷が化膿しやすい。
・ これといって大きなGVHDも副作用もなかったが小さな事を言えばきりがない。
・ 肝機能障害、出血性膀胱炎。
・ 退院後、4ヶ月でヘルペスにかかったがそれほどひどくはなかった。
・ 移植後しばらくは味覚がなかったのに臭覚が鋭くなりちょっとしたにおいで吐いていた。
・ 身体(骨?)が痛いのには参った。移植後しばらくしてから始まり、腰、背中、手足が異常なほどだるく痛かった。退院後も続き、特にひざがロボットのようにぎこちなく感じる。
・ 家族でさえも私だと気が付かなかったムーンフェイス。
・ 移植には直接関係ないかもしれないが、とてつもない頭痛に何度も襲われている。数秒ごとの電激痛が1日数時間、それが2~3週間続き、日常生活どころではなく発作が起こると転げ回るか、うずくまっている。突然起こるし、薬もあまり効かない。

8、発病した時、困ったこと、考えたこと
・ 家族や特に子供の事を考え、生きて帰れなかったらと思うと涙が止まらなかった
・ 病気について自分でもいろいろと情報を集めましたが、患者サイドに立った物が少なく、誰でもいいから患者の話を聞きたかった。
・ もし、死ぬとなればちょっと早いなあと思った。そうなると母が悲しむし、やばいと思ったが最悪のことにはならないような気がした。何でかな?           
・ 移植前、最後の外泊日にもうこれで家に帰れないかも…と思った。
・ 自分が死んだ場合の家族の将来。
・ 治療の為に、無菌室に入る前に生まれて始めて丸刈りをしたこと。髪は女の命だから、抜けると聞いてとてもショックだった。
・ 子供が小さかったので、長期入院となればその預け先で悩んだ。実家の両親、夫の両親への負担を考えると申し訳ないと思った。ドナーである弟に仕事上で迷惑をかけた。万が一のことも考えて、今後の子供の身の振り方を考えた。 
・ 誰もが死を想像してしまう病気だし、情報をどこに求めれば良いかもわからず、とても悩んだ。今なら移植をすれば治るんだと思うが当時はインターネットを駆使して情報を得るということは出来なかったので(パソコンがなかったのもあるが)インターフェロンで行くか、移植をするかハムレットのような気分だった。             
結局、移植可能年齢ぎりぎりの50歳手前での移植に踏み切ったのだが、金大の先生方や兄弟たちが背中を押してくれたので決心がつき、今とても元気でいられることに感謝している。
・ 床屋で丸坊主になった時は悲しかったが、無菌室でごそっと抜けたときは情けなくて鏡も見たくなかった。また、抜け落ちた髪をガムテープで取る姿は今思い出してもみじめだと思う。化学療法をしたら抜けるのは当たり前と軽く思わないで欲しい。                     
9、医療側に言いたいことがあれば
・ 懸命に治療してくださって感謝以外ない。ただ、こんな病気になると患者は驚き、不安になるので、告知した後は治療法だけでなく、たとえば萌の会などいろいろな患者の会を紹介して頂いて精神的にもケアしていただけたらありがたいです。それと国や厚生省に対して、もっと公立の看護婦さんを増やしてくださいと言いたい。はたから見ているとあまりの重労働と忙しさに体を壊さないかと心配になる。金大に付いては早く新しい病院が出来ればと思う。
・ 日本の病院もアメリカのように精神ケアも含めた外来であることを願います。今の外来はそんな余裕もなく、医師も患者も満足のいく治療ではないと思う。
・ 最高の治療と看護を受けたと思う。

・ いろんな病気が次々と起こり、そのたびにさまざまな薬が処方される。が、ある症状を治すために飲んだ薬で起こる副作用のほうが強すぎて、また別のつらさが..
ある先生は、「副作用のない薬はそれほど効果なし、副作用の出るくらいでないと治りませんよ」って言ってたけど、これって本末転倒?
・ 長期の化学療法はもうこりごりだけど、普段の薬も出来れば少なくして欲しい。
ファンギゾンは見たくもない。
・ 治療の前に主治医に「この治療でだめなら…」とかマイナスのことをいっぱい言われた。患者を不安にする言葉を使わないで欲しい。納得できる説明と安心できる言葉がほしいです。
・ 助けてもらってありがとうございました。
・ 「下痢は自分で止めようと思わないと止まらんよ」と言われたけど自分で止められるものだろうか?こんな事は言わないで欲しい。
・ インフォームド・コンセントとは? 「説明と同意」と訳されているけれど今の医療は「医者が自分のやりたい治療を十分に説明して患者を説得し、それに対する患者の同意を得る」に思える。自分は本来の意味での「同意」が出来たこと、また、そう「説明」してくださった先生に感謝しています。ただ、生命の選択は(治療法を提示されて)「どれにしますか?」といわれても「じゃ、これに」と簡単なわけには行かない。あたりまえだけど…
・ 最初に告知してもらい、その後の精神面でのフォローもあって、前向きな気持ちで治療を受けられたことに感謝します。でも、もう少し話をお聞きしたいと思っても、先生や看護婦さんの忙しさを思うと遠慮しがちになってしまう。
・ 現代医学のおかげと、献身的で的確な対処のおかげで治癒できたのだと感謝しています。トイレや洗面所はあまり衛生的ではなかったけど感染防止対策はきちんとされていて安心していられました。あえて言うなら、病気についてのフラットな情報が欲しかった。人の身体は気持ち次第というところも多いのが事実です。                 
心的ケアを今後考える時代ではないでしょうか。(そのためには人手が必要ですよね。となると、国の政策とかにも関係あるし…)
・ 病院では、調理場や氷が自由に使えたので助かった。そうじゃないところもあるときいて驚いた。使う、使わないは別として、ないと不便だと思う。                                                       
・ 入院中、忙しい中看護婦さんにシャンプーや足湯をしてもらって本当に気持ちよかったです。
・ 患者殺すに刃物はいらぬ カルテめくって首ひねり 「うーん」とうなったその後に 5秒の沈黙あればいい…    あるお医者さんが出した本にかかれていた言葉だけど、はっきり言われるより不安な気がする
                     
10、萌の会について何かあれば
・ 発足から会の運営、なんにもお手伝いできないけど毎月の会報を楽しみにしてい
ます。会報の情報も勉強になるし、会員の方の手記を読むと自分を振り返ることにもなります。
・ いろんなことの思いは自分なりにたくさんありますが、萌の会の会報を読ませて
もらっているうちに長い時間をかけてですが、自分に与えられたこととして思えるようになりました。自分がこのような病気になったことで、他の方の健康も願うようになりました。
・ いつも楽しみにしているので、長く続いて欲しい。
・ 一人でこなしていて、ただただ頭が下がるだけです。
・ あまり会う機会がないけど、皆さん頑張って欲しいです。いつもありがとう。
・ 皆さんの体験談が毎回楽しみ。自分と同じように悩み、苦しみ、泣いている姿が伝わってきて励みになります。
・ 病気に関する本は(ガン特集など)比較的多くあるけど、一般的な感じ。会報のように身近な話題だったり、体験談を通して不安な気持ちや、今、どうしているという状況がわかるのがとてもいい。作る人はたいへんかもしれないけど長く続けて欲しい。
・ 会員が少ないのはPR不足?それとも県内の人は、そんな意識が薄いのかな…?
・ 医療特集を載せて欲しい。自分の治療は終わったけど、知識として持っていたい。また、患者のQOLを高めるいろいろなことを教えて欲しい。(退院後の生活など)
・ お手伝いしたいと思いながらなかなか出来ません。ごめんなさい。一人で毎月が んばっているのは、すごい!これからも、よろしくお願いします。


編集を終えて
  送られてきた原稿をそのまま、まとめました。このアンケートは皆さんの思いの一部です。まだまだ伝えたいこともあったかと思いますし、もう過去のこととしてとらえていらっしゃる方もいるかと思います。 「萌の会」は血液疾患の患者の会ですが、どちらかというとメンタルな部分を重視しています。お互いの体験を通してささえあったり、自分の気持ちを確かめたり、疑問に答えたり…。「萌の会」をつくっていくのはあなたです。これからもよろしくお願いします。
ご協力ありがとうございました。

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2005年9月の交流会

平成17年9月3日に金沢大学医学部附属病院の食堂で今年度の交流会を開催しました。

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